幼児期に樹立された幸せの新記録は、人生の最高記録になる

2012年09月06日 ( 木 )

よくある考え方に、人間はもともと一人だった。それが半分に分けられた。だからもう半分をさがして、または欠けているものを求めて歩き回る。というのがあるけれど、わたしは少し違った考えをもっている。それは人間がさまよい歩くのは、幼児期に体験した幸せな体験、快い感覚をもう一度味わおうとしているからだと思っている。幼児期にこの幸せな体験がなくして、どうして未来に希望がもてるというのだろうか。幼児期の幸せの体験が貧しくて、どうして人間の尊厳を大切になどできるというのだろうか。未来が幸せだから今我慢するんじゃない。今幸せだから、どんな苦境の中でも、未来を期待できるのだ。
 
大好きな人が笑顔でこちらを見つめている。なんともいえない満たされた気分だと思う。人間は死ぬまでこの体験をもう一度、あと一回、味わいたいと思うのではないだろうか。あかちゃんがお母さんに、少年は親友に、少女は恋人に、ディズニーランドのキャストはゲストに、夫は妻に、父親は娘に、おばあちゃんは孫にその体験を求め続けるのではないだろうか。
 
ふれあいデー。その日はこの子が大好きな人たちに囲まれる日になるだろう。たくさんの出会いもあったわけだから、この子が産まれたあの日よりも多くの大好きな人に囲まれる一日になるだろう。うれしくていつも以上にがんばってしまうかもしれない。もしくはいつもと違って戸惑った時間になってしまうかもしれない。でも大好きな人に囲まれているのにはかわりはない。みんな笑顔で見つめてくれているという体験はどうなったって味わえるんじゃないかと思っている。
 
ふれあいデー。それは嫌なことを我慢する日じゃない。イヤイヤ何かをやらされる日でもない。その日は、先生もお母さんもあの人もこの人も、みんながこちらを笑顔で見つめてくれている、それくらい自分は大切な存在なんだと実感する日です。
 
多くの人が笑顔でいるということは簡単なことではありません。ユーモアと情熱と、何よりも真剣さが大切です。コマッタをヨカッタに変え、傍観者を当事者にまきこみ、童のように真剣に汗をかく。できれば失敗は3つくらいするほうがいい。何かをやろうとしたらいくつかはうまくいかないこともあるんだから。
 
きっと当日の何日も前から長い時間をかけるでしょう。ズックを買いに行ったり、お弁当をつくったり、荷物を積み込んだり、仕事を調整したりするかもしれません。でもふれあいデーが終わり、お家に帰って子どもが眠っているのを見た時に、こう思ってくれたら、ふれあいデーは幸せの新記録を更新したといえるでしょう。

「子育ては、まるでおとぎ話のような一瞬だった」と
 ―おおかみこどもの雨と雪 より

そしてこの子らの人生において、幸せの最高記録になるかもしれません。

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