あいの保育園

過去の保育日誌

令和7年度 こぐま組最後の懇談会資料②

こだま / 浜 文子

止まない雨はない

明けない夜もない

耳底に響く母の言葉が

時間の橋を渡り

裏返った心を表に返しにやって来る

母は言わなくてはいけない

幾度も言わなくてはいけない

生命に肯く言葉を

傾いた夏空

夕暮れのぬかるみ

遠のく風景の肩ごしに子どもが聞くのは

こだまになった  母の言葉

 誰でも、人生の途上でことあるごとに思い出したり、あるいは何かの出来事に出くわしたとき、ふっと心に浮かぶ母親の言葉があるのではないでしょうか。その言葉は、耳になじんだ小さな口職であることもあるでしょうし、教訓を含んだ重い言葉である場合もあるでしょう。お母さんが、ひどく無口でいっこうにそのような記憶がないという人や、母親を早くに失い、その記憶がないという人でも、父親の言葉や関わりを持ってくれた人の言葉が、長い人生の支えになって、幾たびか心によみがえるということはあると思います。
生身の人間が、体温のある肉声で、人生のいろいろなときどきに、ふっと口にした言葉が、傍らで聞く者に大きな響きを残すということがあります。

 私の場合は、母の口にする、「明けない夜はない」「止まない雨はない」「ありがとうはすぐに」「愚痴からは何も生まれない」や、祖母がよく口にした、「二つ良いこと、さて無いものよ」「あとで、あとではあとの祭り」といった言葉が、しっかり心に残っていて、ことあるごとに私の肩ごしに、その言葉が残響するのです。日常生活の中で、繰り返し言われる言葉は、繰り返しのその効果で、小さな雨の雫がやがて石をつように、子どもの心に深く入っていきます。「生きた言葉」「活きる言葉」とは、そのように生活を通して肉声で、身近な者から語りかけられる言葉です。

 昨今は、パソコンでEメールも送受倍できますし、言葉は画面の向こうに記号のように現われたり、一瞬にリセットされて、目の前からかき消えてしまったりもします。言葉は広場の共有物になり、情報伝達の道具としての機能的な側面を重要視されるようにもなりました。しかし…と申しましょうか。だからこそ!…と言いましょうか。私はそんな現代に、努めて肉声で体温のある言葉を、傍らの家族から子どもに自分の実感をこめてつぶやいてほしいのです。
 私の少女時代、言葉は電源を入れ、キーボードを明けばたちまち画面の上にひしめき合い、かき消えていくもの、流れ去っていくものではなく、大人から語りかけられる一言、一言が耳から心へ、コツコツとをノックされるように効まれていくもの、刻印されて消えないものとして存在しました。

「止まない雨はないんだから、そんなにクヨクヨせずに…・・・・」「人間、笑っていれば、なんとか道は開けるもんでね・・・・・・・」

 そんな、実に何気ない小さな言葉を、しみじみ親や教師から言ってもらえる子は、今の世にとても少ない気がします。
叱りとばすのでも、愚痴を言うのでもない、「人間の生きる現実の深みから、しずかに立ちのぼってくるような言葉」で子どもに話しかける大人が一人でも二人でも増えれば、子どもの世界も優しく、落ち着いていくのではないでしょうか。
 叱りとばすのでも、愚痴を言うのでもない、ところから語られる親の言葉の力は、教え、論し、なだめ、慰め、励ます、しずかなエネルギーを、子どもの心に吹きこみます。

 それは「物の道理」を説く時間です。そして、子どもが、人生や自分自身と「折り合いをつけていく方法」を少しずつ伝授される時間です。

 大人は、今の時代に居間で自分の言葉で、自分の人生を支えている思いを体温のある語りかけで、できる限り子どもに伝えましょう。

 お母さんという立場は、子どもの心に至近距離で温もりのある生きる哲学を伝授できる、最高のポジションにあるといえます。

 今日から始めましょう。子どもが五十代、七十代になっても心に響く、永久保存版の「お母さんの忘れられない一言」が散りばめられた語らいを……

お母さんと呼ばれるあなたへ/浜 文子

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