子どもの問題は大人が勝手につくっている
学校現場では、小学校に入ったばかりの子どもたちが、座っていられずに立ち歩いてしまったり、授業を受けられなかったりということが問題視されることがあります。
これは「小一プロブレム」などと表現されるので、子どもに問題があるかのように見えますが、大人が「問題だ」と定義するから問題になるのです。
私の推測ですが、「小一プロブレム」という言葉は、小学1年生の指導に困ってい学校を支援するために、文部科学省によってつくられた言葉のような気がします。
予算と人を学校につけるために、「小一プロブレム」という定義が必要だったのではないでしょうか。
しかし「小一プロブレム」が問題化されたことにより、その後多くの人が苦しむことになったように思います。
小学1年生の担任はきちんと座ることができない子どもを問題ととらえて、きちんと座れる学級にしなくてはいけないというプレッシャーを抱えます。
幼稚園や保育園では、小学校に入学するまでにきちんと座れる子どもたちにしなくてはならないというプレッシャーがかかってくることになります。
当然、座っていられない子どもたちも、問題のある子と認識されるわけですから、辛いでしょう。
しかし、外国などでは幼い子どもはじっとしていられないものだということを前提に、さまざまな形状や質の椅子を用意しているところもあるほどですし、そもそも授業が子どもにとっておもしろいものであれば、立ち歩かないかもしれません。
子どもの問題とされていることは、ほとんどがこのような構図で生まれています。「不登校」という言葉も同様で、学校に行くことが当たり前ではなく、「大人になるための手段の一つに過ぎない」という認識になれば(もしくはホームスクーリングでもいいという認識になれば)、不登校という概念そのものがなくなるでしょう。
家庭ではとくに、親がよかれと思ってかけた言葉が、子どもの問題をつくっていくということもあります。
問題はどのようにつくられていくのか、その例を見てみましょう。
次にご紹介するのは、34ページでも登場した「〈森・黒沢のワークショップで学ぶ〉解決志向ブリーフセラピー」(ほんの森出版)に出てくる例です。
問題がどのようにつくられるかということを説明するために、 少し誇張されたつくり話ですので、それを踏まえてお読みください。
あるお母さんと娘さんの夕食時の話です。
このお母さんは非常に観察力が高く、普段は1分間に120回噛む娘さんが、その日は3回しか噛まないことを発見します。そこでお母さんは「あれっ、どうしたの。食欲ないの? 具合悪い? そういえばちょっと顔色も青いわね」と言います。そう言われた娘さんは「そういえば私今日ちょっと、食欲がないかも」と思い始めます。
続けざまに、「学校で何か言われた?」と言うお母さんに、「そういえば学校でA子ちゃんに気になることを言われた。うまく答えられなかったときに先生にも嫌味を言われた」と、娘さんはその日を振り返ります。
その後も、お母さんの原因探しは続きます。 「あっ、そうか。あと1週間で期末試験だよね。今度、自信ないの? あなたはもう中3で、受験も控えてるのに、今からこれだと本番に困るわね......でも、あまり焦らないほうがいいわね。ご飯なんて食べたくなかったら食べなくてもいいのよ。 具合が悪いときは、バッと吐いちゃえば楽になるから」。それを聞いている娘さんは、どんどん不安を高めていきます。
「たしかにそうかも・・・・・・高校受験どうしよう。吐いちゃえばいいかな」と娘さんが言うと、お母さんが「うん」と答え、娘さんはトイレに駆け込んで今まで食べたものを吐いてしまったのです。
いつもより、物を噛まない娘さんを観察していたこと自体はいいのですが、そのことに「食欲がない」「受験ストレスがある」と意味付けしたことにより、娘さんに意識をさせてしまい、問題をつくり上げてしまいました。
この本この本の事例は少し極端なたとえですが、ここまででなくても、よかれと思ってかけた言葉が子どもに多大な影響を与えていることはあります。
みなさんも日常生活のなかで、お子さんのことを心から心配してねぎらいの言葉をかけることがあるかと思います。
「受験勉強、大変でしょう?」 「疲れたでしょう?」……。
もちろん、本当に子どもが疲れているときに、そのような言葉をかけたくなる気持ちはわかるのですが、こういった言葉が子どもの問題をつくり上げてしまいます。
ねぎらう気持ちでかけた言葉が、受験勉強は大変だと刷り込ませたり、そこまで疲れていなくても「たしかに疲れたかもしれない」という意識を与えたりと、子どもの意識を変えてしまうのです。
みなさんがもし、お子さんの問題だと認識している点があるとするならば、それが何かによってつくり上げられた問題ではないか、視野を広げてみる必要があるかもしれません。
子どもの問題が大人によってつくられるということを、前項でお伝えしました。そのことに実感があった私は、自分の子どもにそういった影響を与えないように、自身の行動や言葉に注意をしていました。その結果、親が過剰に反応したり、言葉にしないほうがうまくいくことも多いといました。
私は自らが子育てを始める前に、ある仮説を立て、ちょっとした実験をしようとしました。「子どもが転んだときに、親があわてて駆け寄れば子どもは過剰に泣くようになるが、笑顔で見ていれば子どもは平然としているのではないか」という仮説です。
そこで、息子が転んだときに、私は駆け寄らずにただ笑顔で見守っていることにしすると、息子は何事もなかったように、泣くこともなく平然と立ち上がったのです。すると息子のなかでは「転ぶ」ということが「たいしたことではない」と認識されたようです。その後も、息子たちが転んでも私も妻も大騒ぎせず、自力で立ち上がったときに笑顔で見ていることを心がけました。これが功を奏したのかわかりませんし、生まれ持った性格もあるのかもしれませんが、実際、彼らはどんなときにもあまり泣くことはありませんでした。
親には「いい親でいなければならない」という強迫観念のようなものがあります。それゆえに、子どもが転んだときに駆け寄って「大丈夫?」 「痛かったね」と声をかけるなど、過剰に反応してしまいがちです。
しかし、そのような行動こそが子どもが過剰に泣いたり、落ち込んだりする反応につながっているように思います。
親の何気ない言葉は、あなたの意思にかかわらず、子どもに大きな影響を与えます。たとえば、お子さんの友達や、周りにいる子に対して「あの子はだめだなあ」というようなことを言ったことはないでしょうか?
一見、自分の子どもには関係のない言葉のように思えるかもしれませんが、ここか子どもたちは2つのメッセージを受け取ります。
一つは、「あなたは失敗しちゃだめよ」というメッセージ。
そしてもう一つは、「あの子は尊重しなくていい子。排除してもいい」というメッセージは、いじめの原因になりかねません。
前者のメッセージは、前述の通り挑戦できない子にしてしまいますし、後者のメッッセージは、いじめの原因になりかねません。
どんなに気を付けていても、なかなかうまくはいかないものです。
しかし親の言葉や思いが、子どもの価値観の形成に大きな影響を与えることは、意識しておくべき親の何気でしょう。
著:工藤勇一【子どもが生きる力をつけるために親ができること】
令和8年4月27日(月)あいの保育園
しろくま組・こぐま組懇談会資料