2011年04月01日 ( 金 )
一番好きな季節は
あしたか あさってか そのあたりから 春になるという季節です
おだやかなのに ちょっぴりつめたく
そうかと思うと ほんのりあたたかく・・・・・
子どもたちとともに生きるということは、春を待つ季節に似ています。もう少しで立つことができそうな今に感心して、もう少しで歩くことができそうな未来に期待して、初めてミルクを飲んでくれた時間を懐かしむ季節です。
一番好きな季節は
あしたか あさってか そのあたりから 春になるという季節です
朝だけさむく なんだかうれしく
そうかと思うと ほんのりしていて
子どもたちとともに生きていこうとすることは、楽しいことばかりではありません。自分にその重責が務まらないのではないか、自分はその役目をきっと果たせるんだということを確かめてみたい気持ちと、それは責任でもあり役目でもあるが、自分が救われる時間でもあると感じる季節です。
一番好きな季節は
あしたか あさってか そのあたりから 春になるという季節です
庭には月が ぼんやりでていて
そうかと思うと はっきりしていて
「単に生きるのではなく、善く生きる」とソクラテスは言った。確かにそうである。
しかし現代において善く生きるイメージや手本がなかなか見つけられなかったように思う。
今年の3.11には東北関東大震災という痛ましい時間が始まり、今も続いている。そんな中でも光りを放つ人間の尊厳を実感できることがたくさんありました。
家族に会うために生きて帰ることを約束する消防士、それを疑わない家族。
貧しいながらも支援を申し出る国、その国にとってその金額はあまりにも大きい。
自分たちがこの状況の中で野球ができるということをしっかり考えた高校球児、そして凛とした選手宣誓。テレビに映せないような現場に危険を承知で出向いていく自衛官。
自分だけ勝手はできないと乗組員を大切にする船長、自分が家族に会うのは最後の最後。
使命感をもち、死を覚悟しながらも屋内退避地域に残る看護師。
原発について真摯に勉強をし続ける大学のゼミに集まる人々。
今までは、何になりたいか、どんな職業に就きたいか、と問われていたような気がします。けれどもこれからは、その職業を通してどんな人間でありたいか、どのように生きていきたいのかが問われるように思います。
社長とかシェフではなく、どこまでも社会に貢献することを貫く人、もっと先もっと上を目指して自分らしく考え進み続ける人になりたいのかどうか、というような時代になったのです。
社会の様々な人の生き方に保育士が学ぶように、子どもたちは保育士をよく見ています。子どもにとって保育士が側にいるというのではなく、素敵な生き方、子どもから見てうれしい人が側にいるということが重要なのではないか。
われわれは今、この春に、どのような人間として、どのように生きていくのか、問い直しながら子どもの前に立たなければならないと感じます。