今日、7月1日は「童謡の日」です(1984年に日本童謡協会が制定)。
1918年7月1日に、日本初の児童文芸誌『赤い鳥』が創刊しました。
鈴木三重吉(すずき みえきち)が創刊した童話と童謡の児童雑誌『赤い鳥』は、
政府が主導する唱歌や説話に対し、子供の純性を育むお話や歌を世の中に広める運動の宣言とともに発刊しました。
『赤い鳥』は、それまでの堅苦しい「説話」や「唱歌」ではなく、子どもの言葉で子どもの世界を描いた
わかりやすい童話・童謡の創作を目指し、作られたものです。
時代が変わりゆく今もなお、親しまれている数々の童謡を生み出してきました。
幼い頃に口ずさんだ曲は、いつまでも心に残っています。
いつのまにか私たちの頭の中に、自然としまいこまれた美しい言葉の数々。
胸をうつ風景、懐かしい光景、心が動いたときに、ふと口をついて出るそれらの言葉。
童謡・唱歌の歌詞は、明治から昭和にかけての暮らし、先人たちの遊び心、そして日本人の心を詠んでいるようです。
また童謡には、真に子どものための歌、子どもの心をうたった歌、子どもに押し付けるのではなく、
子どもに自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という想いが込められています。
子どもたちの為の歌、これからも歌い継いでいきたいものですね。
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~1919年(大正8年)、日本で初めて曲(旋律)がついた童謡~
「かなりや」 作詞:西條八十 作曲:成田為三
唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
後の山に 棄てましょうか
いえいえそれは なりませぬ
唄を忘れた 金糸雀は
背戸の小藪(こやぶ)に 埋めましょうか
いえいえそれは なりませぬ
唄を忘れた 金糸雀は
柳の鞭(むち)で ぶちましょうか
いえいえそれは かわいそう
唄を忘れた 金糸雀は
象牙の船に 銀の櫂(かい)
月夜の海に 浮かべれば
忘れた唄を 思い出す