3.みんなの前で,意思・考えを言葉で表現すること
幼児にとって、自らの意思を表現するとき、特に自分の好きなときに自由に自分の言葉で言うことは、
比較的容易である。つまり、求をただ伝えること表現すること、「お水が飲みたいっ あれが欲しい」こういうことを自由に言うことは、
わりあい言いやすい。しかし、「何々はどうなっているのだ」という説明をすることは非常に難しい。
4.相手の話を聞くこと
人のかかわりの中で,相手がどのように考えているか、どんなことを感じているか,ということを理解することは大切であるが,
これは相手がどのようなことを自分に伝えようとしているか、ということを理解することにつながる。
これはなかなか難しいことである。先生はどんなことを言っているのだろうか、あるいは友達は、いま何を言おうとしているのだろうか、
ということを聞くことは、やはり生活の中で,経験の上でなれていかなければならないことである。
「聞く」ということは、頭の中に相手が言っていることについて,イメージを広げることであり、
また,筋道を立ててそれを整理する思考力が働かなければならない。したがって「話す」。あるいは「聞く」ということは、
言葉と思考力とが直結していることを,改めてここで考えなければならないのである。
5. 意見・欲求のぶつかり合いの体験
集団の生活も進み,群れの状態からやがてふれあい、結びつき,もみ合い、
そしてしっかりとしたきずなを持つような状態に発展していく過程の中で,よく意見のぶつかり合いという場面を,子どもなりに体験する。
まだ十分に集団して育っていない場合,あるいは、一人一人の子どもの中に社会性が十分に育っていない場合には、
それがけんかになってしまう場合も多い。集団としてある程度のまとまりができてきた場合,すぐにぶつかり合いが生じ,
しばらくもみ合ったあげく,子どもから「それじゃこうしたらいいんじゃない」というような言葉が出てくる場合がある。
この「それじゃこうすればいいんじゃない」は非常に重要で、2つの意見の対立の中で,解決の道を考えた末に提案した言葉といえる。
このような言葉が出てきたときに,それを保育者がうまくとらえ、その発言のもつ意味は「大変すばらしい」ことであると認めてやれば、
子どもたちは、自分の考えたこと、発言したことの価値を自覚することができるのである。たとえば、ある子どもは飛行機の絵を描きたい。
別の子どもは他のものを描きたいということでもめている。そして,それをそばで聞いていた3番目の子どもが、
「それじゃこういうふうにしたらいいんじゃないか」という提案をしたとする。あるいは、その当事者どうしの間でちょっと考えて、
「それじゃこうしょうか」と言った場合があったとする。それは第3の道を見出したことであり、それを言葉に表したということで、
大事な解決の道を開いた言葉、つまり,社会性言語として大切な「カギになる言葉」だということができる。
そして単に言葉の使い方の問題ではなく、友達とかかわる気持ちと考える力の育ちが土台にあることを忘れてはならないのである。」
子どもが数人で集まっていると、何か協同的な遊びを大きく展開するような期待をいだくことが担任の心境であろう。
だが彼らの様子を見ていると、何かをするために集まっているのではなく、お互いに引き合うものがあって,集まること自体が楽しく感じられることがある。
3人、4人でうろうろしているという状況であるなら、その状況が一緒にいること自体を楽しむという経験を認めてもいいのではないだろうか。
そのような中から,提案があり、遊びが作られていくことを待つことも必要である。
子どもが仲間を見つけ、一緒にいるということ自体の楽しさを味わう状況にあるときに,保育者が介入して、お互いを何かをさせるための協力者にさせることを急ぐべきではない。
目に見えた形では何かを一緒にすることより大事なことは、一緒にいることである。
そのとき何もしていないのではなく、目を合わせ、気持ちを重ね、言葉を交わし、笑い合い、ついて歩き、一緒に(いようと)するのだから。
仲間の発見とは、このような一緒にいたい他者を発見することから始まるのではないだろうか。
子どもと人間関係 人のかかわりの育ち
大場牧夫・大場幸夫・民秋 言