⓵自分でするよろこび 著書:子どもの生活 遊びのせかい
監修:津守 真 津守 房江
子どもが、朝、元気に目を覚まし、笑顔を向けるときは、
おとなにとっても幸いな時である。
その恵まれたときを一緒に味わうことから、育てる仕事ははじまる。
子どもは新鮮な眼で周囲を見回し、自分がしようと思うものに手を伸ばし、
思うことに向かって足を一歩踏み出す。
余念なく打ち込む子どもの姿には、かわいらしくも尊厳を感じさせる。
小さくとも子どもはひとりの人格である。
子どもとくいちがったとき、たがいに意地を張ったり、
いら立ったりするのはやめよう。
親子ともに柔軟な心を育てることは、
個々の能力をつけるよりも大切である。
子どものすることはいたずらのように見えても、
子どもにとっては意味がある。
そこには成長する種がある。
子どもが望むことを実現できるよう手助けをしよう。
心の底からしたいことが沸き起こるのには、時を必要とする。
ゆっくりとつき合ううちに、
子どもの心のうちに静かに自分自身の意志が生まれる。
⓶遊びの中で成長する 著書:子どもの生活 遊びのせかい
監修:津守 真 津守 房江
幼児期は人間の生涯で独自な時期である。無心に遊ぶ子どもの心には、広く深い宇宙が宿っている。
子どもがあなたと一緒にいたい、一緒に遊びたいと思っている「いま」を大切にしよう。子どもが近寄ってきたときは、あなたに何かを求めているときである。親しみか、慰めか…。子どもが物を差し出したとき、そのときを逃がさずに心をこめて受けとろう。子どもはきっとあなたの心づかいに応えてくれる。
自分から始める行為には、子ども自身が展開する未来がある。子どもが始める遊びを大切にし、一緒に楽しみ、自分で納得して終わるのを見守りたい。幼いときから、自分で志したことをやりとげた体験を積むならば、子どもは明日への希望をもつものとなるだろう。
子どもは遊びの中で自分の心をかくさない。今、目の前でしている小さな行為に、注意深く、愛をもって目をとめよう。子どもと一緒にすごすときは、おとなが学ぶときである。おとなも一緒に成長することによって、子どもは成長する。子どもと遊ぶときに発見することには限りがない。
今日の一日を満ち足りてすごすことが明日をつくる力になる。特別なことをしなくとも、日常の中に満足と喜びをつくり出すことが、育てるものの仕事である。
夜、子どもが眠ったあと、散らかった玩具や机の下の小さな紙片を拾い上げるとき、遊んでいたときの子どもの心のあとを見いだす。
それはもう一度子どもの側に立って考えるときである。
(中略)
子どもが人問として育つには、生まれたときから、身近なおとなの配慮ある関わりを必要としている。
最初の人間関係を通して、子どもは自分自身と人間と世界に対する信頼を学ぶ。成長の途上には自らの存在をおびやかされる機会は多くあるが、周囲に対して不信感をもって人生を出発させるのか、世界は基本的に信頼し得るものと確信して生きるのかによって、人生はまったくちがったものとなる。
子どもとの信頼関係をつくることが、子育ての第一歩である。
子育ては雑事ではない。人間を学ぶ最善の場である。
⓷子どもの冒険心はやる気のあらわれ 著書:8秒間のスキンシップ
監修:川合 月海
人間が何かに好奇心を持つと、つぎには見たり聞いたりしているだけでは我慢ができなくなり、手や体で触れて、何なのか、どう動くのか、食べられるのか、食べられないのか、などと確かめたいと近寄り、触れ、動かそうとするものです。
まして動物と同じようにはいはいをしていた時代から、立ち、歩き、走るという人間への生活を始める時代に入った子どもの好奇心は飛躍的に大きく広がり、それに従っていろいろな物事に体ごとぶつかっていこうとする冒険が一挙に増えてきます。
そんな子どもの様子を見ているお母さんは、つまずいてつんのめり、大ケガをしては大変だ、熱いものに手を出して火傷をさせては大変だ、階段から落ては大変だと心配して「あぶないよ、やめなさい」「こわいよ、やめなさい」「あついよ、やめなさい」「いたいよ、やめなさい」 などといった言葉を一日中口から出しているという状態になっていきます。
子どものケガや病気を恐れるあまり、親がこんな禁止語や命令語を連発していたら、子どもの中にできてくるのは、恐れとか不安といった心であり、これはやる気とか冒険心を小さく縮こまらせてしまうし、いま一つ恐ろしいのは、自分の思うように動けない、できないという不満が大きくなり、 束縛ばかりする人間への怒りや反発を強くし、この心の波騒ぎが子どもの動作を不安定、不規則に荒々しくさせ、かえってケガや病気を呼び寄せるということになります。
子どもの冒険心、これは人間がダイヤモンドを大切にするより以上に大切にしてほしいものです。もちろん生命にかかわるような危険なことは厳しく止めて気づかせなければなりませんが、ことが起こる前に生命にかかわる危険となりそうなものを親のほうが取り除いておいて、少々痛い目に会ったりするような冒険的な動きは、子どもの思うままにさせておくということが大切なのです。
生命にかかわるような危険物はいろいろありますが、口に入れると大変なことになる薬類とか、のどや鼻をつまらせたり傷つけたりする針や豆などといった小さくて固いものから細く長くとがっているものとか、高熱で火傷しそうなものなどは、子どもが触れることができないように、あらかじめ片づけてさえおけば "あぶないよ、こわいよ、いたいよ”などといった言葉は、ぐんと減っていくのではないでしょうか
⓸添い寝、抱っこは最初のコミュニケーション 著書:子どもの心の発達がわかる本
監修:小西 行郎