申孝保育園

過去の保育日誌

R8.5月 園だより

令和8年5月1日 園だより No. 712  佐藤麻子

春の訪れから新緑へと駆け足で移り変わる5月。
至る所で色とりどりの花々が咲き誇り、桜が散った木々からは若葉が「私の番ですよ」と顔をのぞかせています。毎年、園ではその年のテーマを決めて保育活動を展開しています。
今年度は昨年度に引き続き、【絵本】をテーマとしています。そこで今年の園だよりでは、月ごとに一冊の絵本を紹介しながら、スタッフの想いや、保護者の皆さんと共有したいことをお伝えしていきたいと思います。

今月の絵本『葉っぱのフレディ ‐いのちのたび‐』

レオ・バスカリーリア 作 みらい なな 訳
この絵本は、副題のとおり「いのちの旅」を、葉っぱの一生を通して優しく描いた作品です。
私はこの絵本の主人公・フレディの親友であるダニエルという存在に、特に心を惹かれました。ダニエルは物知りですが、フレディが自然の道理や生きる喜びを自ら感じ知った時に、穏やかに言葉をかけてくれます。押し付けたり教え込むのではなく、フレディが自分で気づくタイミングを大切に、一緒に生きようとする姿勢です。私はその関わりが、保育士が日常で子どもたちに目指している姿勢と重なって見えました。「タイミングをうかがう」「察する」という行為は、日頃から難しいと感じながらも、とても大切なことだと思います。
つい大人たちは、「子どもはまだ発達途中で、無知な存在だからしてあげなければ」と考えがちです。また、「この子のため」という想いから、自分のペースで子どもの育ちをコントロールしようとしてしまうこともあります。私は、成人した二人の子どもの母親ですが、若かりし頃はその典型でした。心配性のあまり、子どもがつらい想いをするのを恐れて、レールを敷き、私のタイミングで歩かせようとしていた苦い思い出があります。振り返れば、それは「子どものため」ではなく、私自身の安心や都合を優先していただけだったと気づきました。しかし、思春期を迎えた我が子から「自分らしく生きたい」というメッセージを行動で返され、私は親としてもう一度生き直すことになりました。そして、これまで出会ってきた多くの子どもたちから、私は大切なことを教えられました。
子どもたちは、知りたがり屋で、学びに意欲的で、驚くほど柔軟で力強い存在なのだと。

絵本の内容に戻ります。
フレディは、めぐる季節を生きる中で、「自分は自分という存在でよかった」と心から思えるようになります。それは、ダニエルがフレディの学びのタイミングを尊重し、安心して体験を積み重ねられる環境を保証してくれていたからだと思います。私も、子どもたちがフレディのように、四季の中で自分の人生をよりよく生き、成長していくことに、そっと寄り添える存在でありたいと思います。
人生の旅の舵を切る子どもたちと共に歩み、成長し続ける——そんな、ダニエルのような存在を目指して、これからも生きていきたいです。

令和8年5月  教育的断片 須藤孝也

 遊びには、ポジティブな遊びとネガティブな遊びがあるようです。今回はそのことについて少し考えてみたいと思います。
 というのも、子どもたちが一生懸命遊んでいるのを見ると、私たち大人の遊びもあのように真摯なものだろうか、と疑問に思うことがあるからです。ごっこ遊び、なわとび、虫を観察するとき・・・子どもたちが熱中して遊ぶとき、彼らは本当に楽しそうです。遊びながら、彼らは世界に触れ合うことを楽しみ、そうして世界を知ることを楽しみ、また自分が少し成長することを楽しんでいると言えるでしょう。ですから、楽しく遊んでいるときの彼らの遊びは、ポジティブなものと形容できると思います。
 翻って、私たち大人の遊びは彼らの遊びのようにポジティブでしょうか。なんらか自分の世界を広げるものになっているでしょうか。なんらか自分を高めるものになっているでしょうか。それはしっかり楽しいものでしょうか。その遊びは私たちにちゃんと、生きるっていいな、と実感させるものでしょうか。
 そのように遊ぶことができる大人は幸せです。でも大人の遊びは時にポジティブなものではなく、逆にネガティブなものになってしまうようです。いわゆる「気晴らし」「気散じ」としての遊びがそれです。「これはただの遊びだから」ということになると、大人は、なんの内容もないことや、なんの意味もないことや、結局は私たちを疲弊させる結果になることでも、自分の中で「遊び」として肯定できてしまうようです。単に内容や意味が「ない」だけならまだマシかもしれません。ひどい場合は、自分を蝕むこと、自分をつまらぬものにすることすら、「ただの遊びだから」と言って、自らに許してしまうことすらあるようです。あまりに現実が厳しくなると、そこから逃避したくなるのはわかりますが、しかしそれでもやはり、そうした遊びが、子どもたちがするポジティブな遊びとはまったく異なるものであり、まったく褒められたものではないことは確かでしょう。
 もしかしたら、私たちは子どもたちに遊び方を習ったほうがいいのかもしれません。もちろん、大人の遊びは子どもの遊びとは同じものではありえませんが、しかし、遊びのポジティビティということについては、やはり子どもたちの遊びは私たちにとってこの上ないお手本になっているように私は思います。

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