2016年12月24日 ( 土 )
『サンタクロースの部屋』
十二月にはいると、街はもうおきまりのクリスマス風景。「ああ、またジングルベルの季節がきたか」と、おとなたちは思い、子どもたちの多くは、やはりサンタクロースのことを考える。やれケーキよ、プレゼントよと、商業主義のあおりたてる騒がしさの中で、それでも「サンタクロースは、本当にいるのだろうか」と真剣に問いかける子どもが、ことしもまた何人かいるに違いない。
もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は、他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生みだすこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」というのが、その大要であった。
この能力には、たしかキャパシティーということばが使われていた。キャパシティーは、劇場の座席数を示すときなどに使われることばで、収容能力を意味する。心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎えいれることができる。
この空間、この収納能力、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かはいうまでもない。いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。別にサンタクロースに限らない。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも仙人でも、ものいう動物でも、空飛ぶくつでも、打出の小槌でも、岩戸をあけるおまじないどもよい。幼い心に、これらのふしぎの住める空間をたっぷりととってやりたい。
『サンタクロースの部屋』
松岡享子 著 より抜粋